会社を辞めて妻と過ごす時間を増やしてみた

30歳、純日本的な一部上場企業を退職。一度人生をゆっくり考え直すために妻との長い夏休みをとってこれからの生き方について考えてみる。夫婦で行く旅の記録や、二人で過ごす時間を作るための働き方について日々感じたことを綴る記録です。

当ブログ開設にあたって(100年時代 私の人生戦略)

当ブログにお越しいただいた皆様、閲覧ありがとうございます。

 

初めにことわっておきますが、当ブログは殆どがプライベートな呟きに近い内容になるかと思います。

 

ブログを始めることにしたきっかけは私の退職です。

 

私は自分で言うのも何ですが、おそらく今(2018年)の日本においては「ホワイト企業」に入るであろう会社に務めていました。

 

年収もそこそこ、社会的信用が厚く、福利厚生も充実。有給休暇も申請すれば特に何も言われることなく普通に取れるような会社です。クビを切られる社員もいませんし、どんなに評価の低い管理職の人も降格人事も減給もなく閑職を用意されるに留まっていました。

 

業種柄、私が定年を迎える向こう30年くらいは潰れそうな業界でもありませんし、内需がある会社なので為替や金融危機によって大きなダメージを食うこともありません。

 

そんな優良企業に勤めていながら、特に落ちこぼれることもなく、人間関係に悩んでいた訳でもないのに、私は会社を辞めることを決意しました。

 

理由の1つは、会社の風土が合わなかったこと。

 

贅沢に思われるかもしれませんが、純日本的なホワイト企業ゆえの、年功序列のシステム、誰とも差のつかない給料、実力ではなくついた上司によって左右される人事考課と出世。

 

言い換えれば仕事ができなくても会社にしがみついてさえいれば、容易く生きて行けると言うことです。

 

一度しかない人生を、この会社に委ねて生きることに、私は全くワクワクしなくなっていたのです。

 

 

間に他の経験も詰みつつも、8年ちょっとの会社人生の多くは営業職として働いていましたが、私はあまり手を抜くことができない性質でした。

 

チャンスがあれば、仕掛ける。未着手の提案があれば、挑戦する。

 

今思えば、実力主義ではない会社なのだからもっと手を抜くこともできたかもしれません。

 

しかし、仕事をやり抜こうとすればするほど、帰社時間は遅くなり、会社の中で評価されるほどに担当の取引先は難度の高い企業をあてがわれ、しかし給料が上がる訳ではない。

 

せめて収入に反映されれば、妻との生活をより豊かにすることができますが、純日本的な大企業の多くは役職や職位が上がらない限り給料も横並びでしか上がって行きません。(私の勤めていた会社だけでなく、周囲の友人に聞いても同じだそうです)

 

日本企業が言う「評価」は、「評判」であって「評価」ではありません。

 

評価=対象の価値を定めること

 

価値とは言わずもがな値段です。

 

頑張っても時間が減るだけで、自身の価格が上がっていかない働き方に疑問を感じていました。

 

もう一つの理由は、妻と過ごす時間をもっと取りたいと言う想いからです。

 

私は2015年に結婚した同い年の妻がいます。

 

周囲に居る人の気持ちまで明るくさせるような、笑顔の素敵な女性です。

 

妻には持病があります。

 

私もまた、身体の強い方ではありません。

 

人生100歳時代が到来し、人の健康寿命はどんどん伸びていますが、30歳を迎えてどうしても10代、20代の頃の自分と比べると肉体の衰えは感じざるを得ません。

 

昨年、「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」と言う本を読む機会がありました。

(この本は、この退職を考えるきっかけにもなりました)

 

これまでのー今現在でも大多数の人の生き方というのは、3つのステージからなります。

 

学習のステージ、労働のステージ、そして引退のステージです。

 

今までであれば、引退後。

 

60歳あるいは、65歳を過ぎて会社を退職した後に、ゆっくりと余生を過ごす考え方が一般的でした。

 

2018年現在も、日本のシニアの勢いは凄まじいと感じます。(元勤務先のマーケティングもここを主体としていました)

 

退職してからもまだまだ元気な65歳。時間も蓄えもあり、子供も成人。

 

海外旅行にグルメに、今までやりたかったことを思いっきりやる。

 

これが、今の世の中のマジョリティーな考え方なのかもしれません。

 

 

 

しかし、私はこの本に書かれていたように、これまでのような3ステージの人生に沿って生きることには不安と不満を抱きました。

 

引退後のステージが、寿命の延伸と共に20年、30年と続く中、65歳まで企業で働き続けるだけで蓄えは本当に足りるのか?(年金は?健康保険制度はどうなる?)

 

65歳まで、1つの会社にしがみついて生きてきた人間が次のことにチャレンジできるのか?改めて社会に出ることを求められた時、通用する人材に果たしてなっているか?

 

そして何より、65歳から海外旅行に行ったって今と同じように楽しめるのか?

体力も感性も、若い今より衰えることは確実です。

 

それならば、今から。

みんなよりも少し早めに、中休みを取らせてもらおう。

そして、二人きりで元気に過ごせるうちに、妻との時間を確保することにしました。

 

不安もありますが、何かのご縁でブログを閲覧してくださった方には見守っていただけると幸いです。

 

また、同じような考えをお持ちの方に、何かの参考になれば嬉しいですし、アドバイスなども頂ければ大変感謝いたします。

 

 

 

蛇足ですが、退職に関することを少しだけ付け加えておきます。

 

実際に、転職活動を考え始め、転職サービスのwebサイトに登録してみると現実が突き付けられました。

 

勤めていた会社は、一部上場企業でそれだけでもそれなりのステイタスになります。

 

しかし、転職活動を始めた時、自身の信用というものが全く形成されていないことに愕然としました。

 

会社ではそれなりに頑張ってきたつもりの自分。

 

国際人材を育てる、倍率の高い研修に合格し、海外での就労経験も僅かにある。

 

社内表彰も3度受けていますし、取引先からの社外表彰も経験しています。

 

しかし、転職活動で最初に見られる部分は

 

「B toCメーカーで営業職 8年間」

 

これだけです。

 

私のアカウントに寄せられる求人情報も、実に95%が営業職。

 

そう、私はいつの間にか、「営業しかできない人間」になってしまっていたのです。

 

私はこういうことがしたいんだ。

 

私はこういうこともできるんだ。

 

これらの主張よりも、ついてしまった「実績」がモノを言うのが、転職という市場なのだという現実。

 

 

 

私は本当は人材育成がやりたいのですが、この声を社会に届けるのはなかなか難しそうです。

 

 

 

 

長くなってしまいましたが、このブログはあくまで無職となった夫婦二人の生活を綴るのがメインになる予定なので、ゆるゆるお見守り頂ければ幸いです。